突然ですが、僕が育った家庭は一部の人間がお金にルーズでした。

 

別に「貧乏」だった

という印象はないのですが

いつも「金」を巡ったトラブルが耐えない家庭でした。。

「え?ガス代10万円?フザケンナ!!!」
「後、どこの会社に借りてるんや!このヴォケ!!」
「あのな、お金というのは持たなくても生活なんとかなるねん。俺(父)なんて1000円だけ財布に入れてるんやぞ(ドヤ顔)」

お恥ずかしい話、こんな具合に喧嘩?というか金を巡った言い争いが耐えませんでした。 

もちろん、1000円しかポッケに入れない節約家の父が貯めてくれたお金や

子育てで忙しい(うちは双子だったから特に^^;)母もパートに出かけては

貯金に勤しんでくれたおかげで高校くらいまでは何不自由なく(でもないですが)

一般的な人と同じような生活水準を送らせてもらって感謝しております。

 

専門学校を探すときは、奨学金がある学校を血眼になって探したものです。 

かといって、仲が悪い家族ではありません。

 

むしろ、今では

誕生日の時に集まってレストランでランチ

とかするくらい仲良しです♪ 

 

小さい頃も、クリスマスは必ずプレゼントをもらってたし

お正月もお年玉をくれてました(ありがとう)

 

でも、その“裏”でどんどん積み重なっていた借金の存在は知る由もなかったです。 

それが発覚したのは僕が高校3年生の時。

 

専門学校へ通おうかどうしようか?と進路で悩んでいた時期です。

「おい!ゴルぁぁぁぁぁ!フザケンナ!お前!!!!」

と突然、父の雄叫びが家中に響き渡りました。

 

いえ、うちは裏が山の田舎です。

村中に響き渡りました。

 

その原因は、祖母が作った借金でした。

 

僕が小さい頃はよく祖母に遊びに連れていってもらった記憶があり

まさか、あの祖母が・・・というショックもありました。

でも、ショックなのはその額でした。

 

約1000万円(返済含む)

 

高校生の僕は借金をしたらどうなるという感覚はそこまでなかったと思います。

 

自分でお金を稼いだことなんて、近所のコンビニでアルバイトして

月7万稼いで、それで無敵って思ってたくらいですからw

 

で、この1000万円という額もまた

映画の中のお話のようにしか思えなかったのです。

でも、実際に借金は存在したんです。

 

それも、実家が担保に入れられた状態で。

 

はい、借金を返せなかったら済む家がなくなります。

はい、借金を返せなかったら田んぼが全てなくなります。

もうこの時点ではすでに先祖から引き継いでいたという

山は知らない誰かの名義に変わっていたそうですが・・・w

 

おそらく、最初に借金をしたときは小額だったのでしょう。

 

でもよくよく考えると、確かに祖母の生活水準は少し狂ってたかもしれません。

 

・ブランド物のジャケットが部屋のクローゼットを埋め尽くしてました。

・毎日、シゴト帰りにパチンコに通ってました←原因

・親戚が帰ってくると、よく椀飯振舞いをしていました

 

そりゃ、こんな金の使い方してたら

どっかで歪み出て、借金しますよね。

 

なぜ、借金をしたか?

 

とかそんな理由なんてもうどうでもいいんです。

 

現に1000万円の借金が目の前にあります。

 

父が手当たり次第、預金通帳をタンスの奥深くから引っ張り出します。 

母が親戚や自分の身内にまで火を噴くような表情で電話営業バリに電話をかけまくってます。

しかし、僕(ら(兄弟))はまだ高校生です。

 

何もできないことにただただ自分に苛立ってました。

それでも、人は本気を出すとなんとかできるようで

1年以内にその借金は全て耳を揃えて、しかも現金で返したそうです。

 

あとで、知ったのですがうちの母が親戚中を走り回って

借金返済の目処が立ったようです。

母、あなたはやはり偉大です。

 

それでもやはり母のおった心の傷のダメージは計り知れなく

借金返済後もしばらくは静かにバレない声でひそひそと部屋の隅で泣いていました。

 

その涙の意味は聞かなくても母の背中でわかります。

 

そんな母の姿を見て、本当に胸が張り裂けそうなくらい辛かったですし

祖母の存在も善→悪に変わっていきました。

 

と、こうして過去を振り返っていると、普通ではないですね。

と同時に、とても切ない気持ちになりました。

 

世間の双子のイメージとは少し違うかもしれません。

二卵生なので。顔も身長も趣味も何もかも違います。

 

兄は学校で普通に過ごしてました。

一方で弟の僕はずっといじめられてました。

 

なぜ自分だけいじめられるのか?

 

ずっと考えてましたが、当時の僕は太ってました。

ただそれだけでいじめられていたのです。

 

女子からは

臭いと馬鹿にされ、いじめっ子の男子からは殴る蹴るの暴行を受け続け耐える日々。

学校のベランダから真剣に飛び降りようと何度も考えました。

 

先生も僕がいじめられてることを知っていたのですが見て見ぬ振りです。

今、いじめがピックアップされてますが当時そういった情報もなく

ただただ孤独と戦っていましたね。

  

僕自身、幸せな学校生活を送っていなかったのですが

家に帰ると家族はギスギスしてました。

全てはお金が原因です。

お金があれば世の中を見返せる。←この発想はいじめられてたという劣等感からくるものかもしれません。

 

そして、大好きだった音楽もお金としか見ることができなくなった今

お金の存在に対して苛立ちさえ覚えます。

でも、包丁は人を刺すこともできるし美味しい料理を作れるのも事実で

お金も人を殺すこともできれば人を救うこともできます。

 

僕は後者を信じてお金を稼いで、家族もそうですし社会貢献を微力ながらできればと思い

経済活動をしています。

 

そして、インターネットが発達した今

僕と同じような境遇の心の傷が癒えきってない人たちも

情報発信を通じて変われるんだということを信じて欲しくて

これからも情報発信は続けていくつもりです。

 

 父親が夢を語ってくれたことがありました。

それは、自衛隊の音楽隊の一員として活躍したかった。

というものです。

 

思い返すと、家にトランペットや録音機材があったのは

その名残かもしれません。

 

そして、その夢を叶えるが如く僕も音楽の道に進みました。

音楽で成功すればお金持ちになれる。

 

と世間一般の考えと同じような考えもあったのかもしれません。 

でも、現実は全く違いました。

 

まさにこんなことになるなら出会わなければよかった状態です。 

 

と、1章の動画も作ってみました〜
よかったら見てね(●´ω`●)
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